エコ社会の矛盾
「エコ」という言葉は色々な角度から眺めることができます。例えば、「資源を使わない」というエコ、「(空気や水など)地球の環境を汚さない」というエコ、また、「(必要以上に)お金や労力を使わない」というエコなどです。
私たちが目指すエコ社会は、どの角度から見ても満足出できるものでなければなりません。リサイクル一つとっても、労力とリサイクルによって得られた資源の価値(質や量)とのバランスが取れていなければ、誰も納得しません。
例えば、金属やプラスチック・紙などの資源は必ず古くなります。古くなることを「劣化」と言いますが、人間も歳をとることが避けられないように、資源もこの劣化から逃れることは出来ません。劣化を計算に入れるとリサイクルはそれほど単純なことではないことが分かります。例えば、新しく再生した資源は新しい資源と比べると必ず劣ってしまうので、それまでのように使えるとは限りません。
プラスチックは時間が経ったり再生を繰り返したりすると、どんどん古くもろくなるので、信頼出来る強度が必要な製品には使えません。また、病院で使う道具や赤ちゃん用のおもちゃなど、清潔さが必要な製品にリサイクルしたものを使うことはためらわれます。
私たちが日頃分別しているペットボトルも、実はこのような様々な理由からペットボトルとしては生まれ変わっていません。さらに、ペットボトルを再生するときには新しくペットボトルを作るときより余分にエネルギーやお金がかかってしまい、リサイクルの意味がないとも言われています。
このような例から、リサイクルはいつも正しいという訳ではないということが分かります。無駄なリサイクルのために、かえって資源とエネルギーと労力を余計に使ってしまうのでは意味がありません。いつの間にかリサイクル自体が目的になってしまい、本質が見えなくなって、エコとは程遠いことをしている場合もあり得るのです。
さらに、「劣化した資源を大量に作ってどうする?」、という問題もあります。資源は必ず劣化してしまうので、リサイクルする度に少し質の悪い資源が出来ます。当然使い道も限られてきますが、全て使い切るほどの用途がなければ、残りは結局ゴミになってしまいます。これもリサイクルがいつも正しいとは言えない理由の一つです。
エコ社会はリサイクルの重要さを訴え、モノを大切に長く使うことが正しいという風潮を作り出しました。ところが現代社会では、今も物凄い勢いで新しい商品が次々開発されています。割り箸もビニール袋も生産を続けています。社会全体でエコ社会を目指して置きながら、完全なエコ社会が実現してしまうとモノが売れなくて困ってしまうというのが正直なところです。私たちのエコ社会はこのような矛盾を抱えているのです。
